化粧ってわしにとってなんで魅力がないのかピン!ときたので覚書きしとくと、
どうも巷で見るフル武装化粧済みのレイディたちを見るにつけ、自身のウィークポイントの補正か、どう見られたいかの
メッセージを発信するためなんちゃうかと。
どちらにしても、メディアとcommon幻想で規定済みの美つーのと自らの距離を埋めるべく行う作業で。
なんとなく、己のよさを引き出すためのものではないような気がしますわ。
それを見るにつけ、積極的な自己否定を垣間見ているよな、そんな感じ。
なにか、自分を引き立たせるためのメイクとか、そうゆうかたちでの化粧が一般化されればいいのになあとか思ったり、
つーても小じわとかシミ・ソバカスとかみずみずしさとか、失われた若さへの望郷と回帰とか、
そんなんもあるのやろうけどなあ。
でもある女性で30前半やのに園芸やけで真っ黒しわくちゃ乾燥肌やのにすごい魅力的とかあったり、
全身から発する人生の痕跡にこそが、その人となりを魅力的にするのではないかとか思った。
だから、その人の歩みを体現できるような化粧があればよいなあ。化粧に限らんな、服とかもやな。
つーか、その場合私は何者であるという明確な柱が本人には必要なわけで、これはこれで難しい問題だとか思った。
まあ、カレーにオイスターソースかけて食ってたららうかんだ「化粧はその自己をあらわしているのではない」てな一文を膨らませ、整理してみてここに記したつーわけです。
世の女性方はなにゆーとんねん、ちゃーすぞ!とかお思いでしょうが、ご容赦くださいませ。